日本語は感情を行動ととらえるの話(1)
日本語では感情が人のアクションとしてとらえての表現が多いが英語は異なる場合が多い。
これが表現の違いを導き日本語わしゃぬは難しく混乱させる。中学では受け身で表現するとされるが、元は英語には、「他者や周囲いが人に何かを働かせて、その結果人が感情をいだきき行動を変えるという発想」が根底にあると知らないといけない。
例えば、
彼は英語に興味がある。→「何かが彼に英語の興味をもたせた。」という文章が発想の基礎にある。
彼が彼の意志で興味をもったとは彼自身も思っていないのです。興味を何かによって、もたらされてというのが基本です。
これを「興味がある」=be interested in とだけ覚えても正しいのです、英語を発想からとらえて使用しよとすると不十分なのだ。
日本語では「何あとりつかれて関心をもった」が大げさに言うと近いと考える。これが基本的な表現の根本にある。
したがって、「口惜しさと涙が込み上げてきた」、
「おもわず総理の発言に当惑してしまった。」
こういう自己の感情を自分のアクションとして表現する
日本語は叙情に満ちた言語と言える。これは美しい。
しかし、これが日英を言語的に橋渡しすると際には邪魔になることがある。この発想の違いを体感する必要は言語を扱う人には必要である。事例を示そう
(続く)
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