serendipity の話
この語はウイキペディァによると、「何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す」言葉になってます。また、何かを見つけたという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得て、幸運を掴み取る能力を示すという説明があります。
また同資料によれば,18世紀半ばにイギリスの政治家で小説家のホルム・ウォルポールが言い出したそうです。
その元は『セレンディップの3人の王子』とい”The Three Princes of Serendip”とうい童話から来ているとのことです。なお、セレンディップとはアラビア語で現在のスリランカを指しています。さて、この童話はだいたい次のような内容です。
このセレンディップ国の王様が3人王子を旅に出します。彼らはペルシャに着いて、そこである男に出会います。落ち込んでいたこの男に声を掛けた王子たちはラクダがいなくなって困っている旨を伝えたのです。王子たちは応えて、そのラクダをまるで知っているかのように、聞き返すのです。そのラクダは片目だよね?
歯が1本ないよね?足も不自由だよね?何故か、全部これらの指摘は当っていました。そのため、男は本当に王子たちが自分のラクダを知っているものと思いました。そこで王子たちの来た方を探しましたが、見つかりませんでした。それから、再び王子たちに会った男は本当に見たの?どうして知っているの?と突っ込んで聞いたのです。王子たちは、さらに続けました。見た。見た。荷物はバターと蜂蜜だよね。女の人も乗せているよね。これも当っていたのです。そこで、この男は自分のラクダを王子たちが盗んだに違いないと考えたのです。そして、男は
王子たちを訴えてしまい、皇帝の兵士に捕らえられ死刑を求刑されてしまうのです。幸いなことに、このラクダは見つかったのです。それで、王子たちの容疑は晴れるのです。しかし、不思議なのは、どうして、知らないラクダについて、当ったことを言えたのかです。皇帝は王子たちにどうしてわかったのかを聞きます。王子たちは自分達の推理をつらつらと述べました。」その推理とは、「道ばたの草が、左側だけ食べられていたから、右目は見えない」
「草を噛んだ跡を見て、歯が一本ない」「片足を引きずった跡が道に残っていた」「道の片側にはアリがぞろぞろいて、片側はハエがたかっていたので、バターと蜂蜜だろう」「ラクダが座った跡のそばに、人のトイレの跡があり。女性とわかる。それは座ったところに手の跡があった」これらの推察に驚き、皇帝は彼らを側近に置き問題解決に当ってもらったのです。こうした、異文化交流のような経験をした皇帝は喜び、帰国した王子たちは素晴らしい王子となり幸福に暮らしたということです。
この話が西洋で変化した結果、偶然の対応から価値を見出す能力を指すようになったのです。ウォルポールが名詞として、この逸話の意味をくくったのですね。ハイしかし、この語が示す意味は日本人には理解しにくいですね。
「偶察力」というわけのわからなし訳出がありますが、安定した訳語はないのでしょう。セレンディピティとカタカナで用いられる。ポイントは日常会話では、幸運の方が強調され発見する「能力」が理解されないことです。
コメント
コメントを投稿